8月は戦争の話

8月5日の送迎車のなかで

「先生 ピカドンって何か知ってる?」

家族の中で話が出たのか、新聞やTVニュースの中からなのか不明でしたが、子どもからの質問にちゃんと答えなければ…

ちょうど興味を持っている時にと思い 話をすることにしました。

先生のお母さんのお話です。9歳は何年生でしょうか?

その9歳の時に お母さんとお父さんがなくなりました。

親戚の人がどうなっているのか見に行こうと ピカドンが落ちてすぐ小さい船で出発しました。

途中の海で いろんな物が流れてきたり濁った雨も降ったそうです。

「親戚のお家は大丈夫だった!」 喜んで帰ってきましたが

お腹が痛い。しんどい。などと二人病気で死んでしまいました。

先生のお母さんと同じ年ぐらいの皆さんは いまお母さんたちが死んでしまったらどうする?

  親戚のところに行く!!   おばあちゃんのところに行く!!

先生のお母さんも 子どもがいなかったおじさんのところに行きました。

この話は まだお母さんは話そうとしないお話です。

つらい思いをしたからかな?(伝えてくれたのは義祖母でした。)

毎年 この8月から秋になる頃は このときを思い出して悲しい顔しているお母さんです。

そのほか  原爆手帳を持っていたおじさんの話・毒ガス工場で仕事していたおじさんの話を少ししましたが、

「お母さん かわいそう…」と涙ぐむ子どももいて

話する良い機会だったのかな? と感じる語り手の職員でした。

大きくなったら 資料館に足を運んでもらいたいと思う旧広島県民の願いです。

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